朝鮮労働党第6回大会と金正日の誕生日



北朝鮮では、今月6日から朝鮮労働党第7回大会が開催されるが、前回大会が1980年10月開催であったので、実に36年振りということになる。北朝鮮では、党は最高意思決定機関に位置付けられているが、その機関の党大会が36年間も開催されなかったことは、どのように考えれば良いのか。つまり、今党大会は、金正恩一族にとって“利益になる”と判断したからこそ開催する訳で、まさに金正恩一族の独裁体制の象徴的な記念行事に成り下がった。
そこで、36年前の第6回大会の思い出話しをしたい。今でも一番の思い出は、事前に伝えられていた金正日の名前(漢字表記)と生年月日が変わったことである。「金正一」という名前は「金正日」に、誕生日は「1941年2月16日生」から「1942年2月16日生」に変わった。当時の北朝鮮専門家は、皆驚いたものだ。
筆者も驚いた一人だが、その後、ある雑誌を読んで納得した。その雑誌の中で、金日成が、質問者の問いに対して、息子・金正日誕生日の変更理由を述べていたからだ。
質問者「今大会で、御子息の金正日の誕生日が、事前情報より1年後になった。どうして、1年後になったのですか」
金日成「私の誕生日は1912年4月15日であるので、72年になれば60周年、82年になれば70周年の記念行事がある。また、金正日の誕生日は1941年2月16日なので、私の記念行事の1年前に35周年、40周年ということになる。それでは、国内を始め海外の同胞も、2年連続で記念行事に関わることになる。そのため、私と息子の記念行事を一緒にするために変えた」旨発言したのだ。
今になると、その雑誌名は忘れたが、間違いなく金正日誕生日の変更理由を説明していた。ところがどうしたことか、その後、何百冊もの金正日関連本が出版されたが、そのほとんどが金正日の誕生日を“1942年”にしている。そのため、小泉元首相(1942年1月8日生)が、2002年9月と04年5月に訪朝した際には「相手は小泉首相とは同学年である」とか、2011年12月17日に亡くなれば「69歳で死亡した」と報道した。正確には、金正日の方が一学年上、死亡年齢は70歳である。
このほか、筆者の私見であるが、北朝鮮にとっては、金正日の誕生日が“1942年”の方が都合が良かった。その都合とは、既に朝鮮問題専門家は「金正日は旧ソ連の極東地方のハバロフスク近郊の村で生まれた」と特定しているが、生年月日もほぼ特定している。その生年月日が1941年2月16日では、太平洋戦争の始まる1941年12月8日以前に、金日成一派が日本軍に追われて、旧ソ連領に逃げ込んだことになる。これでは、金日成の捏造・抗日闘争史にも支障が出てしまう。更に、金正日が太平洋戦争中の「1942年に白頭山密営で誕生した」という神格化にも都合が悪い。そこで、金日成一派は、金正日の誕生日を一年遅らしたと考える。
皆さん、たった1年と言わないで欲しい。この1年が、金日成一派にとって、北朝鮮内部での派閥抗争に勝利したポイントになり、現在の神格化に繋がっている。つまり、金日成一派にとっては、金正日の誕生日が1年後の方が都合が良かったのだ。
現在でも、ほとんどの新聞や新刊本は、金正日の誕生日を北朝鮮のプロパガンダ(特定の主義・思想を一方的に押し付ける政治上の宣伝)の生年月日“1942年”で報道している。しかし、筆者としては、そろそろ正確な生年月日“1941年”で報道・出版して欲しいのだ。
最後は、今大会のことであるが、金正恩にどのような“箔”を付けて発表するのか、更に、無事に党大会が終了するのか、今から注目して見守りたい。