批評「レーニン対イギリス秘密情報部」



最近、新刊書「レーニン対イギリス秘密情報部」(原書房、3500円、432P)を、ようやく読み終わった。この書物を読んだ理由は、「週刊文春」(4月7日)の中で作家・立花隆が「本書を読むと読まないとで、世界の歴史の見方が一変することは間違いない。第一章と第二章を読んだら後は面白すぎて読むのを止められなくなる」と批評し、更に「読売新聞」(5月15日)の中で京大教授・奈良岡聡智が「怪僧ラスプーチンの暗殺にイギリスの諜報員が関与していたこと、イギリスによるレーニン暗殺計画が実行寸前まで進んでいたこと、軍事干渉を行った際、チャーチル陸軍大臣の主唱によりイギリス軍が毒ガスを使用していたことなど、驚くべき事実が多数紹介されている」と批評していたからだ。それを知ると、本書を読まざるを得ないではないか。

それでは、イギリス秘密情報部(シークレット・インテリジェンス・サービス=SIS、現在のM16=軍情報部第六課)は、どのような経緯で創設されたのか。先ずは、SIS誕生の背景から紹介したい。

・イギリスは、既に1880年代に海軍本部と陸軍省に情報部を創設したが、1909年にはドイツの軍備増強に対抗するために“秘密活動局”を創設することを決めた。その秘密活動局は、海外から軍事、政治、技術情報を収集する部署で、責任者は諜報員を採用し、訓練したのち諸外国に派遣し、イギリスの脅威となるような情報を集めることになった。

・SISの初代長官には、マンスフィールド・カミング(1859〜1923)が就任(1909.10.7)したが、同人は海軍中佐で、重度の船酔いのために、サザンプトン港の港湾警備の責任者であった。つまり、半ば引退状態であった。カミングは、諜報員を「ならず者」「悪党」と呼んだが、スパイ向きの人間ならうさんくさくても躊躇せずに雇った。

・当時、イギリスの軍部には、諜報活動を、不道徳かつ不名誉なこととみなす者が多く、第一次世界大戦前のあるベルリン駐在武官などは、ロンドンに機密情報を送るという考え自体を拒否した。しかし、カミングは全く違った。カミング自身も変装のためにカツラをかぶり、口ひげをつけ、諜報活動をしたし、「大戦が終わってからも、何か面白い諜報活動を一緒にやろう。愉快だぞ、きっと」と部下に語るなど、諜報活動の面白さや重要性をよく理解していた。その熱心さは、1914年夏にフランスで、ひとり息子がハンドル操作を誤り、息子は死亡、本人は片足を切断する事故に繋がった。

次は、ロシア革命前後の活動を紹介する。先ずは、驚きの場面から書物は始まる。

・3月革命後の1917年4月16日、ロシア帝国の首都ペトログラードのフィンランド駅に、10年にわたる亡命生活を終えて、レーニンが封印列車に乗って祖国に帰って来た。その際、レーニンは駅頭で「ヨーロッパ中に内乱」を引き起こし、ヨーロッパをズタズタに引き裂くことを約束してから、「世界規模の社会主義革命万歳!」と叫んだ。ところが、駅頭には、3人のイギリス諜報員がいたのだ。

・イギリス諜報員のシドニー・ライリー(1874〜1925、ジェームス・ボンドのモデルと言われる。ソビエトのチェカー=秘密警察=に逮捕されて処刑、チェカー本部に埋葬)は、ラトビア連隊(レーニンにとって不可欠な存在)の協力の下、全ロシア・ソビエト大会で共産党幹部全員の暗殺計画を立てた。ところが、「フィガロ」紙のモスクワ特派員ルネ・マルシャンが、クーデター計画の詳細を立ち聞きするとすぐに、チェカー長官であるフェリックス・ジェルジンスキーに連絡した。チェカーは、レーニン暗殺未遂の報復として旧体制の著名人500(政治家、実業家、出版業者、作家など)を逮捕し、即座に処刑した。

・SISは、レーニンが世界革命を目指してコミンテルンを創設(1919年3月)し、東洋、特にインド帝国で暴力革命を煽動しているという情報をつかむ。イギリスは、ソビエトが経済活動の切り札として切望する英ソ通商締結(21年3月16日)の代価として、インド侵攻計画を放棄させた。

ところで、書物の中で陸軍大臣に任命されたばかりのウィンストン・チャーチルが出てくる。チャーチルは、演説の中で「歴史上の独裁政治の中でも、ボリシェヴィキの独裁政治は最悪であり、最も破壊的であり、最も下劣だ」「(共産主義は)ドイツの軍国主義よりましだというふりをするのは実にばかげている」「共産主義は政策ではなく、病気だ」と言って、手遅れにならないうちに軍事的に壊滅させるべきだ主張した。そして、最高機密の「M爆弾」という化学兵器使用を認めている。

この書物で、良くわかったことがある。それは、冷戦時代から現在に至るまで、イギリスとロシアの諜報機関が、激しく対決した理由だ。つまり、両国間で緊張状態になった際には、必ず相互の外交官の追放事件に発展したが、その底流には、ロシア革命当時から続く激しい攻防、良く言えはライバル関係があるのだ。その関係を理解すると、両国間のいがみ合いも良く理解できる。

それにしても、立花氏のように頭の回転が早くない我が輩にとって、分厚い書物を読み切ることは苦痛以外のなにものでもない。