トルコとの友好交流拠点地・和歌山県串本町



記念館 9月末の連休では、和歌山県串本町の「トルコ記念館」も訪ねた。この記念館は、エルトゥールル号遭難事故を記念し、1974年(昭和49年)12月、遭難現場付近の紀伊大島に建設された。
 エルトゥールル号遭難事故とは、1890年(明治23年)9月16日、オスマン帝国(現在のトルコ共和国)の親善訪日使節団を乗せた軍艦「エルトゥールル号」が、帰国の途中、台風に遭遇し、和歌山県樫野崎(串本町)で沈没した海難事故である。この海難事故では587人が死亡、生存者は69人だけという悲劇な結末になった。事故現場は、紀伊大島の沖合わずか50㍍の岩礁で、記念館の二階展望台から見ることが出来る。
 遭難事故では、地元住民の献身的な活躍や、政府も国家を挙げて対応したことで、トルコでも大きく報道された。そして現在では、教科書にも掲載され、トルコ国民なら誰でも知っている遭難事故になった。
 現在、串本町には「トルコ軍艦遭難慰霊碑」があるが、当初は、遭難事故の翌年に和歌山県知事を始め、有志の義援金により、墓碑と追悼碑が建立された。しかし、トルコ共和国初代大統領・アタテュルクが、新しい慰霊碑を建立することを決定し、1937年(昭和12年)6月3日に除幕式を行った。その後、島内の小学生や地元の人たちにより、いっもきれいに手入れされている。
 その悲劇を機に犠牲者の慰霊を通じて、串本町とトルコとの交流が始まり、昭和39年にヤカケント町と姉妹縁組を結び、平成6年にはメルシン市との姉妹都市提携の正式調印を交わしている。このほか、記念館付近には、トルコ共和国から寄贈された「アタテュルク初代大統領の騎馬像」が、平成22年6月3日に除幕されている。まさに、記念館付近は“トルコ村”という風景を醸し出している。
 ところが、残念なことがある。記念館では、パンフレットが販売されていないのだ。だから、筆者の手元には、記念館入場の際に手交された“記念館案内”の紙一枚しかない。入場した際、職員に「これだけの記念館である以上、500円前後のパンフレットを作成・販売するべきである」と要望したが、何の反応もなかった。
遭難事故 筆者が、パンフレットにこだわるのは、何も日本人だけを対象にしているわけではない。記念館や博物館を訪ねる多くの観光客は、歴史や文化に関心を持っている。最近、欧米諸国と豪州人の訪日目的の第一位は、いずれも“日本文化に触れるため”という結果になっている。そうであるならば、尚更、観光客に対する「おもてなし」を充実させる配慮として、パンフレット作成は必要と考える。是非とも、日本語と外国語のパンフレットを用意して欲しい。
 ところで、最近、エルトゥールル号遭難事故に関する講演会に参加した。この際、講師が「トルコ人は、私に『我々は、アジアから移動してきた民族であるので、顔は日本人と同じである』と言います。しかし、どう見ても、余り似ていない。どうもトルコの王様や高級幹部が、美形が多いアルメニア人と結婚したり、愛人にしてきたので、あのような西洋的な顔になったようだ」という話をした。だが、筆者は、今でも半信半疑である。
 いずれにしても、トルコは親日国である。その背景には、18世紀後半の女帝・エカチェリーナ2世の南下政策で、ロシアと戦ったが敗北、ドニエプル河口やクリミア半島を奪われた。そこに百年後、日露戦争で日本が勝利し、トルコ全土が歓喜に包まれた歴史がある。それ以降、トルコ人の多くは“日本大好き”になり、今でもその感情は続いている。その意味では、トルコは日本にとって大事な国であるで、今後も串本町には日本を代表して、トルコとの友好交流に邁進して欲しいと思うのだ。
 最後に、記念館でも紹介・宣伝していたが、エルトゥールル号遭難事故とテヘラン邦人救出事件(1985年)を絡ませた映画「海難1890」が、12月5日から全国公開される。是非とも、全国の映画館で成功して欲しいと願いたい。