沖縄県での「島田叡氏顕彰碑」の除幕式に出席して



6月26日午前11時から、沖縄県那覇市の奥武山運動公園において、「第27代沖縄県知事 島田叡氏顕彰碑」の除幕式が行われた。除幕式には、沖縄県知事を始め、島田氏の出身地・兵庫県から知事、神戸市長、議員約20人など約100人、総計300人が出席した。ちなみに、式典には、島田氏と二人三脚で尽力した元警察部長・荒井退造の出身地・栃木県から有志8人が出席した。
除幕式は、下記の次第で実施された。
・黙祷
・開会の辞
・献奏「島守のかみ」(「島守の搭」賛歌)ー那覇高等学校合唱部(女声)
・顕彰碑除幕・碑文朗読
・主催者挨拶ー兵庫県知事、沖縄県知事
・奏楽「旧制神戸二中校歌」「栄冠は君に輝く(甲子園)」ー那覇高等学校吹奏楽部、沖縄県高野連野球部員
・閉会の辞
 除幕式で印象に残ったことの第一は、主催者代表が島田氏と共に、5回くらい荒井退造の名前を出したことである。更に兵庫県知事や沖縄県知事が、挨拶の中で島田氏と共に荒井退造の名前を挙げたことである。つまり、先の沖縄戦においての“沖縄県民に対する貢献度”を、島田氏と同じように評価してくれたということである。
 第二は、兵庫県と沖縄県との交流の濃密さである。その点に関しては、除幕式で配布された「記念誌」の中で触れられているので、一部抜粋する。
「…1964年、母校の島田叡氏事跡顕彰会より、沖縄の高校野球の発展を願って『島田杯』が贈られた。…戦後、『やまびこの鐘』の那覇市への寄贈、1972年の本土復帰の年、『兵庫・沖縄友愛提携』が両県知事により調印された。それを期に、兵庫の若者の間から、沖縄に青少年施設を贈る運動が始まり、県民と県からの3億円余りの浄財により、奥武山の地に『兵庫・沖縄友愛スポーツセンター』が贈られ、沖縄のスポーツ振興に大きく寄与した。また、『兵庫沖縄青年友愛キャンプ』が毎年交互に実施され、40年以上の歴史を刻んでいる」
 第三は、島田氏の母校(旧制神戸二中、県立兵庫高校)の同窓会「武陽会」の活躍である。除幕式では、「旧制神戸二中校歌」の演奏と合唱があったが、合唱の時には「武陽会」の皆さんも一緒になって歌い出した。その際には、我が輩の目から、自然に涙が流れ出た。どうも、歳の影響もありそうだ。
 顕彰碑の建設では、平成25年11月27日に「島田叡氏事跡顕彰碑期成会」が設立され、沖縄県内外から900万円を超える寄付があったという。顕彰碑は高さ2・8㍍、幅1・7㍍で、碑文には平和祈念公園にある慰霊搭「島守の搭」に関する記述があり、「…最後の官選知事・島田叡は、沖縄戦で覚悟の最期を遂げ、摩文仁の『島守の搭』に荒井退造警察部長をはじめとする旧県庁殉職職員(469柱)とともに祀られいます。沖縄県民からいまも『沖縄の島守』として慕われている所似です」と刻まれている。
 それにしても、島田氏のことを知れば知るほど、良くできたストーリーだと考えてしまう。何故なら、島田氏は沖縄戦で悲劇的な形で消息を絶ったが、そのことは“運命”づけられていたのではないのか、という気持ちにさせるからだ。先ずは、東大卒のエリート内務官僚で、消息の絶ち方が謎めいている。更に、1915(大正4)年の第1回中等学校野球大会では、神戸二中が出場(本人は補欠)している。沖縄県民は、復帰前も復帰後も、高校野球を通じて本土との一体感を感じているという。だから、良くできたストーリーだと思った。島田氏には、真に申し訳ないが、本当に沖縄戦当時の知事が“島田氏で良かった”と思っている。